ハウスメーカーの見積もりの真実

見積もり納得感

 

見積もりにはどこまで含まれているのか

工事価格の目安を知る手立てとして坪単価と並んでよく用いられるのは、見積もりです。建築主の条件や要望を踏まえた住宅をつくるのに必要な材料をそろえ工事を実施するのにいくら掛かるかを、材料や工事ごとに積み上げて計算した結果です。

 

ただし、坪単価を前面に打ち出している住宅会社では見積もり上、建物本体の工事価格は「坪単価×施工床面積」ではじき出し、「一式○○○○万円」とうたうのが一般的です。坪単価と違って、見積もりは建築以外の世界でもよく用いられるので、なじみ深いかもしれません。ビジネスの世界でも、取引先から何か商品やサービスの提供を受ける場合、それにいくら掛かるか、まず見積もってもらうのが、日本の商慣習なのです。

 

感覚的にはいかにも理にかなっていそうです。まず建築主の条件や要望を踏まえて住宅を設計します。そして、その住宅をつくるのに必要な材料や手間の値段を積み上げて工事費用を計算します。一見、誠実でムダがないような印象を受けます。ところがこの見積もりにも、注意が必要です。

 

ハウスメーカーの見積もりのルール

見積もりには、プランや設備・仕上げなどに関して一定のルールが設けられています。ルールを超えた仕様を希望する場合は、当然オプションエ事が発生することがあります。例えば、見栄えを考えてシステムキッチンをワンランク上のものに変更する、床の仕上げをグレードの高いフローリングに取り替える、そういう場合です。「これくらいの内容は見積もりの中に入っているのが一般的だ」と思い込んでいると、契約後に追加費用を請求されることがあるので要注意です。契約時には、住宅会社と細かいところまでしっかりと話を詰めることが大切です。

 

 

見積もりの多重構造

見積もりの問題点を指摘する前に、まず住宅の工事はだれが手掛けるのか、という点を簡単に説明しておきます。住宅の工事は多岐にわたります。木材を切ったり削ったり組み立てたりする工事もあれば、壁や天井など建物の内部を内装材で仕上げる工事もあります。そこで生活するのに欠かせない上下水道や電気・ガスといった設備を利用できるようにする工事もあります。これらの工事はそれぞれ別の職人が担当します。施工に必要な技術や道具が異なるだけに、とても一人では対応しきれません。工事現場にはその進み具合に応じて、さまざまな職人が出入りすることになります。

 

これらの職人は、工務店やハウスメーカーなど依頼先の住宅会社やその下請け会社が手配します。工務店に頼むにしてもハウスメーカーに頼むにしても、依頼先の住宅会社がすべての工事を手掛けるわけではありません。つまり、建築主から住宅の工事を直接受注する住宅会社の傘下には、数々の協力会社が存在しています。あなたが直接相手にする依頼先は1社だとしても、その背後には数多くの協力会社が控えているのです。住宅会社は見積もりの段階で、これらの協力会社に担当する工事ごとの見積もりを依頼します。そしてその結果を寄せ集めて、1枚の見積書にまとめ上げます。建築主はそれを示されて、「高い」「安い」を判断するわけです。

 

では、ここで示されている金額はどのような性格のものでしょうか。見積もり書上は工事の費目ごとに数字が並ぶので、一見するとまるで原価のように思えます。しかし商売である以上、それはあり得ません。そこには原価以外の費用、分かりやすく言えば協力会社としての利益も織り込まれています。住宅会社が同じ種類の工事に関して複数の協力会社に見積もりを依頼している場合には、話はもっと複雑です。協力会社からすれば、その工事を受注できるとは限りません。受注できないリスクを、見積もりの中にあらかじめ見込んでおく必要があります。

 

 

見積もりコストとムダ作業

解体工事会社にとってみれば、取り壊す建物やその敷地を確認しないことには工事に掛かる費用を見積もれません。したがって、必ず現地に出向くことになります。その工事を受注できるか否かにかかわらず、ここにコストが生じるわけです。このコストはどこかで回収する必要があります。すべての解体工事を受注できるのなら、一つ一つの工事の費用に織り込んでおけば回収できます。しかし、受注できないリスクがある場合には、これでは回収漏れが生じることになってしまいます。

 

受注できないリスクを見積もりの中であらかじめ見込んでおくということは、この回収漏れをなくすということです。つまり、現場に出向くことで生じることになるコストを、ある程度まとめて見積もりの中に入れ込んでおくのです。例えば、見積もり依頼5件に対して受注はI件という解体工事会社を想定しましょう。この工事会社がコストの回収漏れをなくすには、見積もりの中で5件の解体予定現場に出向くのに必要なコストを見込んでおけばいいわけです。解体工事という一つの費目をとっても、その構成要素は決して最低限の原価だけではないことをご理解いただけると思います。そこには、協力会社の利益はもちろん、さまざまなコストが積み上げられているのです。

 

工事費用の見積もりで費目ごとに内訳を示しているから、その金額に信頼が置けそうに思えても、そこではさらにその内訳を構成する要素までは示されていません。見積もりは根拠がありそうでいて、詳細に見れば、必ずしもそうではないのです。その事実は、見積もり全体をよく見ていただくと、一段とはっきりします。工事ごとの見積もり金額に、その工事を担当する協力会社の利益やコストが見込まれていることを先ほど説明しました。では、ハウスメーカーの利益やコストはどこに見込まれているのでしょうか。見積もりには通常、それらを思わせる費目は見当たりません。ハウスメーカーは事務所を構え、営業活動の一環としてチラシのような印刷物をつくり、従業員を雇って事業を展開しています。日々、営業活動を繰り広げるだけでもコストが生じているわけです。企業として、それは最低限確保しなければなりません。ところが、それらは見積もりの中では決して明確に表れてきません。しかし、どこかに含まれています。協力会社から集めた工事ごとの見積もりをまとめ上げる段階で、自社の利益やコストをどこかに上乗せしているのです。

 

企業として利益が必要なことはいうまでもありません。しかし、明らかに不適切だったり、ムダなコストが上乗せされているとしたら、それは見積もりとして根拠を疑わざるをえません。見積もり金額にはそうした側面のあることを知っておいてください。

 

 

見積もりの内訳と納得感

分かりやすく、信頼感の持てる見積もりと対極にあるのが、いわゆるどんぶり勘定です。内訳を細かく示すことのない、おおざっぱな見積もりです。例えばハウスメーカーからの見積もりで「一式1800万円」と示されても、何を根拠にそういう数字がはじき出されているかが分からず、納得感を抱けないのが普通でしょう。内訳を示した見積もりは建築主にこの納得感を抱いてもらうための手段なのです。内容そのものに信頼感を抱けるというより、むしろどんぶり勘定ではない、そうした見積もりを示す住宅会社の姿勢に対して、建築主は信頼感を抱くのではないでしょうか。

 

考えてもみてください。工場で生産するパソコンやテレビなどの製品では価格の内訳として、部品の値段や組み立てに掛かった費用がいちいち示されることはありません。製品の価格として一式いくらという金額が示されるだけです。しかし、これをどんぶり勘定といって非難する消費者はいません。「一式いくらでは妥当性を判断できない」コ式いくらでは値付けを信頼できない」などと敬遠されることはありません。あらゆる工業製品の価格は、そういうものです。なぜ、そうなのでしょうか。

 

もちろん、価格が注文住宅ほど高くないという事情もあるかと思います。数百円、数千円の製品に対していちいち目くじらを立てていられませんし、少なくとも同じ店では、同じ製品を同じ価格で売っています。そういうものだと思わざるを得ません。ただ一方で、数百万円、数千万円もする、自動車のような工業製品も存在しています。これらの製品も、高いからといっていちいち価格の内訳を示すことはありません。消費者はそれでも納得ずくで、買うか買わないかを判断しています。

 

大きな理由の一つは、工業製品はすでに完成して目に見える形で存在しているという点です。したがって、見た目はもちろん、場合によっては性能も確かめながら、それに見合う価格か否かを見極めることができます。つまり、一式いくらで許されるわけです。自動車のように高額な工業製品でも、ショールームに行けば実物を目にすることができます。乗り込むこともできますし、必要であれば、試しに運転してみることも可能です。乗り心地まで試せれば、価格に見合う価値があるか否か、判断できます。

 

注文住宅は残念ながら、現実にはそうはいきません。家づくりは白紙の状態からスタートします。建築主の条件や要望を整理し、プランを練り上げ、それをもとに見積もり金額をはじき出すわけです。住み心地は確かめようがありません。つまり、見た目や性能といった完成品だからこそ持ち得る物差しがないのです。物差しがあれば、それをもとに価格が高いか安いかを判断できます。それがないから、注文住宅では工事ごとの内訳という別の物差しに頼って、一式いくらという価格に納得感を抱けるか否かを判断せざるを得ないわけです。

 

建築主にとって重要なのは、工事価格の分かりやすさとその価格を支払ってもいいと思えるだけの信頼感です。もちろん、金額にも意味はありますが、それは、トータルの金額ではないでしょうか。家づくりにいったいいくら掛かるのか、そこはだれもが知りたい点ですが、その内訳まではこれまで指摘してきたような中途半端な形でなら不要です。